父性愛を改めて考える

「父性愛」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?

父親らしさ、厳しさ、頼もしさ、背中で語る存在——そんな印象を持つ方もいるかもしれません。


ここでいう父性愛とは、子どもに「社会の中で生きていく力」を育てる愛情です。

それは、時に厳しさを伴いながらも、子どもが困難を乗り越える力を身につけるために必要なもの。

けれど、父性愛が十分に与えられなかった場合、子どもは「我慢」や「責任を取る」経験を積みにくくなります。


ある若い男性の話です。

彼は子どもの頃から甘やかされて、いつも自分に親が合わせてくれていました。

社会人になった彼は、職場で注意されると「自分は悪くない」「周りが理解してくれない」と感じ、すぐに辞めてしまいました。

彼の中には、「自分は特別に扱われるべき」「困難は誰かが解決してくれる」というような思いがありました。


これは、父性愛の不足によって「乗り越える練習」をしてこなかったことが影響している可能性があります。

子ども時代に、時には厳しく、でも見守られながら「我慢する」「責任を取る」「失敗してもやり直す」経験を積むことは、人生の土台になります。

ここで大切なのは、父性愛は「父親だけが与えるもの」ではないということ。

母親であっても、祖父母であっても、子どもに「社会性」や「挑戦する力」を育てる関わり方はできます。

愛情があるからこそ、ただ優しくするだけでなく、境界線を示し、挑戦を促すことが必要なのです。

それは、子どもにとって「自分は乗り越えられる存在なんだ」と信じる力につながります。


もし今、親として「どう関わればいいのか」と悩んでいる方がいたら、「愛しているからこそ、乗り越える力を育てる関わり方がある」ことを、少しだけ意識してみてください。

そして、もし自分自身が「父性愛を十分に受けられなかった」と感じている方がいたら、そのことに気づくことが、癒しと成長の第一歩になるかもしれません。

そのことに気付いたら、あとは一歩ずつ訓練していくだけです。

父性愛が足りなかったことで根づいた思い込みは、残念ながらセラピーでは変えられません。

自分の力で変えていくしかないんです。

あなたの中にある力を、信じてみませんか。



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